2009年09月27日

Billie Holiday: At JATP (Verve)

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1950年にデッカのラストレコーディングが終わり、契約が切れたビリーは、その後大手のレコード会社と契約を結ぶことができず、アラジンなるマイナーレーベルと仕方なしに契約を結んでいました。一方、麻薬所持裁判で有罪となり刑を受けた彼女は、悪名高き「キャバレーカード」を没収され、ニューヨークのクラブ(酒を出す店)での仕事が一切出来なくなりました。この「キャバレーカード」制度は廃止される1967年までジャズミュージシャンを苦しめてきた稀代の悪法で、一度罪を犯してしまったものは、それを償ったあとでも酒類販売の店では働けない(必要な「キャバレーカード」を没収される)というものです。悪法の悪法たるゆえんは、犯罪経験者の更生と社会復帰を妨げて「法が更なる犯罪者を仕立て上げる」役割を担っていたこと、そして当局の恣意的な運用によってあるものには法が適用され、あるものには抜け道を与えていたことだといわれています。ビリーも、このクソみたいな政治的・人種差別的な制度のためニューヨークではコンサート(ホールのように酒を出さないところでは働けた)、ニューヨーク以外の地域ではクラブで歌うといった生活を余儀なくさせられていました。しかし、この頃は夫ルイス・マッケイとの関係も順調で、新しい一歩を踏み出そうと懸命だったビリーはボストンのクラブ「ストーリービル」でスタンゲッツらを従えて好調ぶりを見せ、ジャズプロデューサーとして売り出し中のノーマン・グランツが彼女との契約に興味を示し、1952年の4月ごろ(一説には4月21日)彼のプロデュースの元マーキュリーレコードに8曲を吹き込みます。ここにいわゆるヴァーヴ時代が幕を開け、これは1957年まで続きます。

ヴァーヴ時代の特色は、
1)グランツの努力もあって、レパートリーに広がりを見せていく
2)バックミュージシャンがモダンがかった中間派の連中が占め、4ビート中心
3)いわゆる衰退期といわれるように、声が徐々に衰えていく姿を捉えている
と言えます。

デッカ時代からこのかた、ビリーはレパートリーの拡大にはあまり意欲的ではなく、いつも歌いなれた歌を歌いなれた方法で歌っていくことに満足していたといわれます。しかしやり手プロデューサーのノーマン・グランツは時に宥めすかし、時に脅しながらレパートリーを広げさせ、その結果何曲もの成果を生んでいるわけです。「プロデューサーとはミュージシャンが自分のやりたいことをやらせないために神が創り出した生き物」という名言を吐いたのはサッチモだったかエリントンだったかパーカーだったか、とにかく偉いさんですが、実際の芸術活動において芸術家がやりたいようにやって成功した例というのはむしろ少なく、プロデューサー、レコード会社、大衆、古くはパトロンや教会といった諸勢力からの掣肘を受けつつ、それでも傑作を物していったというのが真実です。むしろ、そうした掣肘があっても傑作を生み出せるのが大芸術家たるゆえんかも知れません。いずれにせよ、ノーマン・グランツはビリーの才能を見抜き、常に現状よりも一段高い目標に挑戦させることによってビリーの可能性をさらに引き出したといわれています。同じことはジョン・ハモンドも行っていたのですが、その頃のレディーはまさに日の出の勢い、人の意見なんか聞く耳持たず、一方のハモンドも一本気な人で、硬軟使い分けるような寝業師のテクニックを持っていなかったため、衝突し物別れに終わり、その後2人が再びかかわることはありませんでした。

バックが4ビートになったというのはビリーにとっては少しマイナスなことで、本来ビリーの自由な歌い方は隙間の多い「ブンチャ」の2ビートでこそ発揮される性質のものです。ヴァーヴ時代に聴かれる「チンチキ」の4ビートだとこの隙間が埋められてしまい、ビリーの自由が制約されてしまっています。しかし時代は50年代。いったい誰が「ブンチャブンチャ」の2ビートを喜ぶでしょうか?それに4ビートとはいえ、 "Please Don't Talk about Me When I'm Gone" といった新しいレパートリーでは自由闊達にメロディーを組み替えていて、一概にこれがマイナスになったとは言い切れないように思います。そしてバックミュージシャンのはつらつたる4ビートのソロと共に、新生ビリー・ホリデイの姿がここには聴かれるわけです。

声の衰退はもはやごまかしようもなく、それをカバーするために節回しで何とか歌い継いでいくという場面が見られるのもこの時期の特徴です。これはもう、どう言い繕っても仕方のないことなのですが、それでも不思議と同じ声なんですね。つまりブランスウィックの録音を聴いた直後に最晩年の歌を聴いても、同じ人が歌っているということがはっきり分かるわけです。これは私自身経験したことで、ブランスウィックとかコモドア時代の吹込みしか聴いたことがなかったある日、『レディー・イン・サテン』の歌声がラジオから流れてきた時、何の解説も予備知識もないまま「これはビリー・ホリデイである」ということが即座に分かりました。同じ人なんだけれど、楽器の調子が悪いとかリードが痛んでいる、そんな印象です。そう、ビリーの声はリード楽器、つまりサックのサウンドなんです。同じ奏者が演奏しているので全体としての一貫性は保たれつつも、調子によって違いがある、そんな印象です。そして、その一貫性こそが「ビリー・ホリデイというジャンル」そのものであり、どんなに声の調子が悪くても、いや悪いからこそビリー・ホリデイの心が聞こえてくる。数個前の記事に「ヴァーヴ時代は心の時代である」と書いたのはこういったわけです。ビリーと長年共演してきたバック・クレイトン(tp)は「ヴァーヴ時代こそ、本当に聴くべき時代である」といった意見を述べていますが、私も最近、この意見に傾きつつあります。

ということで、ヴァーヴ時代のネガティブと言われていた面も、裏側から見ればポジティブな捉え方が出来るわけですが、この時期の一番ネガティブな点はコレクションの面倒くささにあると思います。コロムビア時代はSP時代なのでLPというフォーマットのアルバムはなかった。LP時代になって耳のいい先哲たちがこの時代のアンソロジーを編み、それを検討しあうことによって、むしろ定番的なトラックというものが形成されてきたわけです。私も全集を聴いたりして、コロムビア時代の選集が本当にいいトラックを集めているか検討したことがありましたが、まず間違いないといっていいでしょう。いっぽう、ヴァーヴ時代はLP時代。ビリーの歌もアルバム単位で発売されてすっきりしているようですが、実際にはそれが後にミックスされたり分割されたりで、むしろ分かりづらいこと夥しい。ということで、どういう単位でアルバム紹介をしていったらいいのか迷うのがこのヴァーヴ時代です(そういう意味で全集を買い求めるのが一番手っ取り早いかもしれません)。

このブログではオリジナルフォーマットにこだわらず、現在入所可能なトラックをうまく振り分けた形でヴァーヴ時代のビリーを紹介していきたいと思います。その第1回目は Jazz at the Philharmonic: The Billie Holiday Story, Vol. 1 ですが、このアルバムからして面倒くさい。このジャケットは以前に邦題『ビリー・ホリデイの魂』というタイトルで発売されたアルバムと同一のものです。違いは色のみ。今回のアルバムが緑なのに対して、LP時代のそれは肌色でした。イラストはデイヴィッド・ストーン・マーチン。ヴァーヴに数々の名ジャケを残しているイラストレーターです。素っ裸の女性がベッドの上で泣き伏せていて、傍らには毛皮のコート、そして電話の受話器。右下にあるのはコカコーラの瓶でしょうか?このLP盤は名盤の一つで、A面に1945-46年のJATP (Jazz at the Philharmonic) コンサートにビリーがゲスト出演した時のトラックを配し、B面にはヴァーヴに移籍したあとのスタジオ録音を配したものでした。これを聴くと全盛時代(1946)のレディーの声と衰退期のそれとを対比して聴けるし、段々考えていくとB面を聴いていることのほうが多かったりして、なかなか巧みな編集がなされていました。いっぽう今日紹介するCDは1946年のJATPコンサートからのトラック+αに加えて、1957年吹き込みの Ella Fitzgerald and Billie Holiday at Newport アルバムからビリーのトラックを抜粋したもの、そして未発表テイクや The Seven Ages of Jazz というライブ録音から取ったトラックのコンピになっています。つまり、ライブ集。ノーマン・グランツとの正式な契約は'52年を待たなければなりませんでしたが、それ以前にも彼の組織したJATPというコンサートバンドに客演していたため、'45-'47年のコンサートが収められているわけです。

1曲目の "Body and Soul" から11曲目の "He's Funny That Way" までが旧盤におけるA面ですが、3曲目の "I Cried for You" 4曲目 "Fine and Mellow" 5曲目の "He's Funny That Way" は新たに加えられたテイクです。この中で特に聴くべきトラックは8曲目の "All of Me" で、コロムビアでレスターやテディーとやったヴァージョンとはテンポも演出もまったく異なり、比較的アップテンポでぐんぐん進んでいきます。このトラックは以前岸本加代子が出ていた森永ココアのCMに使われていたので印象深い1曲です。また10曲目の "Travelin' Light" はレイドバックしたテンポで語りかけるように歌われていて心にしみてきます。タイトル「身軽な旅」とは男性と別れた生活のことです。このようにここで聴かれるトラックは押しなべて「男に捨てられて哀れな私」をテーマにしたもので、テンポも一様でこの時期のビリーの姿勢「歌いなれた歌を歌いなれた方法で歌っていく」に終始しているという弱点も見られます。

3-5曲目と13-16曲目はこれまでオムニバスに収められていたもの。後者は'47年5月24日のコンサートで、実はこの時ビリーは麻薬所持で逮捕されていて、取調べの休憩時間に急遽カーネギーホールに車で乗りつけ歌ったものです。身辺のゴタゴタなど微塵も感じさせないプロの歌い手としてのレディーが垣間見られる瞬間ですが、それでもよく耳を傾けるとどこか暗くて不安なムードが漂っているのが聴き取れるのは気のせいでしょうか?

この後約1年にわたり彼女は投獄され'48年3月16日に仮釈放されるまで第一線から退くことになります。

20-26曲目は彼女にとってヴァーヴでの最後のアルバムとなる Ella Fitzgerald and Billie Holiday at Newport からのトラックで'57年7月6日のライブ録音。しかし驚くのはその音質で、上記'40年代のライブ録音がお世辞にもすばらしいとは言いがたいのに対して、こちらのライブ録音は拍手さえなければスタジオ録音と間違うほどのものです。声のほうは相当に苦しそうで、雑誌『ダウンビート』も「語りかけるような歌い方で、彼女の弱々しくしわがれた声がステージセットの間を震えている」と評していますが、私にはそれほど悪いものだとは思えません。選曲においてもテンポにバリエーションがあるし、21曲目の "Nice Work If You Can Get It" ので出しなんか、少女のように可憐な声で歌っています。 "Willow Weep for Me" もグルーヴしているし、「ラバカン」では「ストーリービル」のライブで気になった "The moon was (is) new" の単調な節回しを避け、様々なタイミングで歌い分けているところなど実にすばらしい。コロンビア時代からずっと歌い続けている "My Man" は結晶化したような曲で、デッカの吹き込みとほとんど変わることのない解釈で歌われていますが、歌詞の理解がより深化しているように思われます。 "What a Little Moonlight Can Do" を聴くとどうしてもコロムビア時代の圧倒的なパフォーマンスを思い出して、その違いをあら捜ししてしまうことがありますが、これはこれで名演だと思います。エンディング処理はこの時期の定番フォーマットのようです。

29-30曲目は'58年9月26日に行われた The Seven Ages of Jazz というコンサートからのもので、こういうコンサートをプロデュースするのは歴史好きのレナード・フェザーらしいといえばらしいです。

このアルバム(CD)はライブ録音集ですが、レディー・デイのさまざまな時期を網羅したものとして必聴の一枚です。


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2009年09月10日

Billie Holiday: The Complete Decca Recordings (Decca)

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高3から浪人時代にかけて六本木の小さなショットバーでアルバイトをしていました。今は無くなってしまったようですが、鳥居坂ガーデンのすぐそばにありました。その鳥居坂ガーデンも既にありません。変わったお店でオープンが深夜の1時か2時ごろ。夜の六本木に勤めていたゲイやホステス、風俗嬢などが店がはねたあとやってくるアフター・アワー的な店でした。バブル前でしたが日本人の金回りが徐々によくなり店を広げていたため、私が行く時は一人で店をまかされたりもして、そういう時は思いっきりジャズを流したりしてました。その晩はお客も少なく、店にいたのはオカマとSM嬢の二人だけ。その時店で流していたのが、ラジオからエアチェックしたばかりの "Don't Explain"。客数といいBGMといい、なんとなく終了的なムードが漂っていました。

すると突然オカマ客が号泣し始めました。それも美人のオカマならともかくすさまじいオカマ。越地吹雪にあやかって「コーちゃん」と呼ばせていましたが、ワハハ本舗の梅ちゃんにクリソツ(当時梅ちゃんは出ていませんでしたけどね)。その彼女が号泣するものだから化粧が流れて正視できないほどになっているわけです。まあ、こういうことは日常茶飯事ではないにしても「わけあり」の人が多い店ではたまに見られる光景だし、そういうわけありな人が多い店なので、あまり詮索しないほうがいいとも思ったのですが、この時ばかりは少し興味も出てどうしたのか訊いてみました。すると彼女いわく、「流れている歌がなんだか哀しいの」。この曲が口紅をつけて帰ってきた彼氏(旦那)が延々言い訳をするのを制して「言い訳などしないで」と歌った歌だと説明したところ、横でやり取りを聞いていたSM嬢まで泣き出す始末。そのうち二人でなにか話し始めましたが、こういうことにあまり聞き耳を立てない、口外しないのが仁義なので、聞かないようにしていましたが、実はまったく別のことを考えていました。

それまでビリーの歌には格別興味がなかったのですが、「実はこの歌手すごいんじゃないか?」と思えてきたのです。口ぶりからおそらく、オカマのコーちゃんがビリーのことや歌詞を理解していたとは思えません。にもかかわらず何事かを伝え感動させる力。そして生意気盛りの若者として抱いていた「自分が分からないのは向こうが悪い」という認識を改め、「世の中にはまだまだ分からないことがある」という事実に思い至ったわけです。

その時流していたのが、今回紹介する「デッカのビリー・ホリデイ」です。デッカ時代のビリーは全盛時代といわれ、その声の艶は他の時代を圧倒してあまりあります。特に生涯の代表作ともなる "Lover Man", "My Man", "Don't Explain", "Solitude" などの吹き込みはジャズを飛び越えて、ボーカルの世界に屹立する名作といえます。逆に言うと、この時期ほどビリーにジャズ的興味が薄くなった時期はないのですが、バックにもリズム隊やホーン群ではなくてストリングスを従え情感豊かに歌っています。ジャズファンのみならず、音楽ファンならぜひ聞いておきたい録音です。

などと偉そうに書いていますが、私自身はこの音源持っていません。デッカ時代のベスト集で聴いているのですが、それが却ってこの全集を後回しにする理由になっていたります。そんなわけで、全曲解説することは不可能なので、特に重要な数曲について紹介するにとどめ、あとは各自聴いていただくことにしたいと思います。

まず、なんといっても外せないのが "Lover Man"。'44年10月4日のセッションで、デッカの初吹込みであると同時に彼女の名声を確立する一曲でもありました。しかし、この名状しがたい感覚は何でしょう。情熱的であるような、それでいてアンニュイであるような複雑なニュアンス。まるで彼女のために作詞・作曲され、それを出されたまま歌いこなしたかのような自然さ。ミルト・ゲイブラーがクラブ「ダウンビート」で彼女のこの歌を聴いて、「ヒット間違いなし」と吹き込ませたエピソードが間違いないと分かるほどの出来を示しています。歌詞は現実の恋人ではなくてまだ見ぬ恋人を思い続ける内容で、ちょうど "The Man I Love" に似ています。そして出だしの "I don't know why but I'm feeling so sad" という歌詞がビリーの声質とよく合っている。本当になぜだか分からないけれどピッタリなのです。

'45年8月14日(終戦の前日!)に吹き込まれた "Don't Explain" はビリー自身による作詞で、彼女にとっても思い入れの強い曲。私のような野暮天はなかなか理解できないけれど、オカマのコーちゃんが号泣したほどの感染力がある曲なんだと思います。それに比べて、私のようなものでも分かるのが '46年1月22日のセッションで吹き込まれた "Good Morning Heartache"。ストリングスの伴奏も押し付けがましくなく、この曲の世界とビリー・ホリデイの世界が一致した見事な名唱です。ビリーの伝記を書いたスチュアート・ニコルソンはこの曲をデッカの最高傑作と断言しています。

'46年12月27日のセッションで吹き込まれた "Blues Are Brewin'" は映画『ニューオリンズ』でサッチモとやった曲ですが、ここではそれとは別のメンツで吹き込んでいます。'47年2月13日吹き込みの "Solitude" はビリーの吹込みのみならず、エリントンを含めた同曲のあらゆる吹込みの中でもトップといっていいような絶唱で、同じレベルにたっているのは『ウェイ・アウト・ウェスト』のロリンズぐらいだと思えます。

'48年12月10日の吹き込みは懲役後のセッションですが、ここで聴かれる "I Loves You Porgy", "My Man" はすばらしい。彼女の "Porgy" はマイルスもお気に入りで、顔を合わせたときは必ず歌ってもらったと自伝で語っています。またこの吹き込みはデッカ録音に似合わずシンプルなバッキングが彼女の自由度を広げています。 "My Man" はコロンビア録音があるのですがテンポ設定が間違っていて、どうにもせかせかした印象に仕上がっているのに対し、ここではテンポもピッタリでピアノだけをバックにモノローグ調で「私の男はひどい奴」という内容のバースを歌い上げたあと、諦観をたたえながらそっとやさしく「でも仕方ない」とAメロに入ってくるあたりは、いつ聴いても息を呑むほどに美しい。1コーラスで終わりますが、完全にこの曲の世界を描き出しています。

デッカにおける最後の録音となる'50年3月8日の吹込みでは、コーラス入りの "God Bless the Child" が聴かれます。私としてはこのコーラスがなんだか安っぽくていやなのですが、昔NHK-FMの特集で『ビリーホリデイ物語』というラジオドラマがあり、そのテーマ曲として使われていました。ビリーの役はたしか加賀まりこ。天国でレスターやベイシーと思い出話に興じるという体の1時間ドラマでしたが、配役はピッタリだと思いましたよ。

サッチモとの吹き込みは思ったほどの成果は出ておらず、ブルースの "My Sweet Hunk O' Trash" では浮かれたルイが思わず4文字語を使ってしまってお蔵入りになったり散々だったようです。またかつてベッシー・スミスが歌った "Gimme a Pigfoot" も押し付けがましい伴奏が災いして、いまひとつの出来だと思います。



選集のほうはさまざまなバージョンで出ていますし、ケン・バーン・コレクションもいいのですが、ここは昔からあるジャケットの一枚を推薦しておきます。



昔から面白いジャケで欲しい欲しいと思っていながらいまだに買っていない一枚です(もういらないんですが)。
posted by G坂 at 02:02| Comment(0) | jazz | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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